工デのその後INTERVIEWS & COLUMNS
2013年 金工専攻 度卒業
野村真理絵
Nomura Marie
株式会社玉川堂
- ー 現在のお仕事について教えてください。
- 現在、無形文化財に指定されている鎚起銅器の製造技術を有する新潟県燕市の株式会社玉川堂という創業1816年の企業に就職しました。営業職や、事務職、販売員と銅器製造職人を合わせて30名ほどの会社です。 銅で茶器や酒器などの日用品を成型から着色まで一貫して製造、販売しています。 私の主な仕事は湯沸や急須の製造です。これらはパーツが多いため5人でチームを組み、本体を叩く人、蓋を叩く人、注ぎ口を叩く人、持ち手や耳を作る人とわかれ、最後に組み立てをして月に50個ほど生産できます。 また製品ごとに製造する職人が決まっている訳ではなく、他の製品も製造するため、一人前になるには10年以上かかるといわれる仕事です。
- ー お仕事のこだわりやポリシーなどはありますか?
- 先輩の「時間をかければキレイにできることは当たり前。いかに完成度を下げずに早く仕事をするかが大切」という言葉を頭の片隅において仕事をしています。 湯沸と急須と一括りに言っても、急須の形だけでも10種類以上あり、模様は鎚目の丸のサイズや荒らしの密度なども規定があります。製品ごとに使用する当て金や金鎚が変わる為、一度教えて貰うだけでは上手くいきません。初めは修正しながらで時間もかかりますが、試行錯誤する事でコツを掴み完成度が上がり、数をこなす事で慣れて仕事が早くなります。 完成は同じでも人によって工程が異なる事もあるため、複数人から教えて貰い、自分に合った方法を探しています。
- ー 工デで学んだことは卒業後に活かされていますか?
- 製造が主な仕事ですが、まれに新商品や新しい模様のデザインを行います。 1年目に先輩と2人で取り組んだ新商品の条件は「鎚起銅器である」「女性らしさ」の2点でした。約200年間、男性職人がデザインした商品やデザイナーにお願いしたものばかりで、女性職人がデザインする商品としては初めての挑戦でした。自分たち世代がかわいい、欲しいと思うものというテーマでデザインしました。銅で作る意味、丸い形である必要性、色と鎚目と口の形の関係性など学生時代の課題でも問われそうな事を話し合いの中で解決していきました。自分の作品ならこだわっても問題ないですが、商品では価格に影響します。しかしこだわりがないと思いがお客様に伝わらないため、試行錯誤に時間がかかりました。約1年後に完成したフラワーボールは今では定番商品になりました。手仕事だからかもしれませんが、商品開発は工デの課題の延長線上のように感じました。
- ー 卒業生として、工デの良いところ、改善した方が良いと思うことなど教えてください。
- ありきたりだと思いますが、それぞれの分野を極めた先生方がいることではないでしょうか。 私は先生方に作品について相談する事がどうしても恥ずかしく、自分で考えることが正解だと思うようにしていました。今考えると、もったいない事をしていました。経験も考え方も違う先生方に、考えている事を素直に相談して意見を聞き、(全て受け入れる訳ではないですが)行動すればよかったと後悔しています。 また私が注目していた事は、制作を続ける為に何をしているのかでした。就職するのか、シェアアトリエを借りるのかなど、具体例を見聞きできたことは卒業後の自分を想像するきっかけになりました。
- ー これから工デを目指す高校生、在校生にメッセージをいただけますか。
- 何年も前の事なので正確には違うかもしれませんが、先生の体験や考え方を聞いていた時に「油画はキャンバスに描く、鍛金はうつわの形がキャンバス」という言葉が腑に落ちました。なぜ鍛金の作品はうつわの形ばかりなのだろうと考えていたからかもしれません。社会人になって制作をするときも、ふとこの言葉を思い出してこのキャンバスにどんな思いを込めようかと考えています。 制作中の何気ない会話や講評で、その後何度も思い出し、心の支えとなる言葉に出会えるかもしれません。